バクマン7巻を読んで思った漫画家の笑いセオリーに対する違和感

twitterでもpodcastでも出来無そうなネタなので書きます。


僕の好きな漫画のひとつでもあるバクマン。
その最新刊7巻で、最高とシュージンがギャグかシリアスか編集と揉める下りがあるのですが、その中で編集のミウラさんに言われたと思われる、「笑いどころでは顔を崩せばok」という理論について違和感を感じました。
確かに様々な漫画で笑いどころには顔を崩すという手法が使われていますが、僕は前からこのやり方に疑問をもっていました。
そもそもギャグまんがですよ、という作品は既に始めから絵を崩して書いているorそういう絵しか書けません、ということだと思うので違和感はそれほど感じませんが、バクマン作画の小畑健さんの様に作画能力の非常に優れた方が描く作品で、一コマだけあからさまに崩した絵を見ると「さあ、どうぞ笑ってください」とか「ここ、笑うところですよ」と言わんばかりの押し付け感を感じてしまうのです。
さらに言えば、小畑健さんの描く崩した絵、というのがはっきり言ってしまえば気持ち悪い。いや、キモチ悪い。
人それぞれ好みがあるので、完全に個人的主観で書いていますので&悪気は一切ありませんので非常に狭い見識ではあるのですが。
僕の好みの崩し方はたとえば秋本治さんの「こち亀」で両津がはちゃめちゃやったときの傍にいる中川か部長の「...」という顔。
でも作品として万人に対して分かりやすくシーンを描くって観点で重要な手法だとは思いますけどね。
テレビなんかのバラエティで使われるSEと一緒ですね。
ツッコミを入れたときのバシッていう効果音やガヤの笑い声とかね。
そういうの無しで笑えるシーンや言葉ってすごいな、と逆に思うわけでした。


それはそうと、バクマンのリンクを探そうと思ってバクマンと検索かけたら偽パクマンというのが表示されました。
内容はよく分かりませんが、パクマン。としてバクマン風なパクリ同人漫画とかあったらおもしろそう。
ジャンプはじめ関係各位には嫌な話でしょうから、作ってはいけませんよ、とここでは書きますが。