幸せのものさし

今日とある大学の卒業式へ足を運んだ。
当事者としてではなく所謂父兄的な立場として傍観しにいったのだが、立場が変わるだけでこんなにも見方が違うものかと感じた。

で、話は変わるが学長の挨拶だったかな?で少し興味の湧いた下りがあったのでご紹介します。(下りじゃなくて件って書くんだっけ?)

まず一点目が、卒業ソングの話。
なんでもここ四年ほど連続一位を取り続けているのがレミオロメンの三月九日らしい。
同郷としてこんなにも誇らしい事はないが、同時にもっと頑張ろうと思った。

ま、ここはそんなに考える話ではないのだが、もう一点。

卒業生に対して、「安定した就職先が見つからないまま卒業される方もいらっしゃるでしょう」
から始まったのだが、リーマンショック云々の話から、それでも世界から見たら貧しい国に生まれた人がいたり、日本でも第二次世界大戦の苦労の時代があったりと、そう考えたら君たちは運の良い時代に生まれた。
と言っていた。
何かといつも色んなところでこの歴史上のものさしをかざしてくる人が多々見受けられるが、そんなことを言われてもはっきり言って実感がわかない。
勿論日本が平和であり、世界的に見ても治安的にも過ごしやすい国だということは分かっているが、そんなことはなんの慰めにも煽りにもならない。
人それぞれ幸せの価値観やものさしは違うものだけど、教育者として今から社会に出て行く若者にそんな気休めにもならない使い古された雛形セリフを伝えるべきなのか?
「おまえら今はそんなふざけてられるけど覚悟しろよ」の一言でも良い気がした今日この頃でした。

何を幸せと感じるか、何を人生の糧と取るかを見つけられるような社会人生活を送っていただきたいと思うと共に、僕自身も自らのものさしをしっかりと持てるような人生を歩みたいと思った。

卒業おめでとうございます。