幸せのものさし

今日とある大学の卒業式へ足を運んだ。
当事者としてではなく所謂父兄的な立場として傍観しにいったのだが、立場が変わるだけでこんなにも見方が違うものかと感じた。

で、話は変わるが学長の挨拶だったかな?で少し興味の湧いた下りがあったのでご紹介します。(下りじゃなくて件って書くんだっけ?)

まず一点目が、卒業ソングの話。
なんでもここ四年ほど連続一位を取り続けているのがレミオロメンの三月九日らしい。
同郷としてこんなにも誇らしい事はないが、同時にもっと頑張ろうと思った。

ま、ここはそんなに考える話ではないのだが、もう一点。

卒業生に対して、「安定した就職先が見つからないまま卒業される方もいらっしゃるでしょう」
から始まったのだが、リーマンショック云々の話から、それでも世界から見たら貧しい国に生まれた人がいたり、日本でも第二次世界大戦の苦労の時代があったりと、そう考えたら君たちは運の良い時代に生まれた。
と言っていた。
何かといつも色んなところでこの歴史上のものさしをかざしてくる人が多々見受けられるが、そんなことを言われてもはっきり言って実感がわかない。
勿論日本が平和であり、世界的に見ても治安的にも過ごしやすい国だということは分かっているが、そんなことはなんの慰めにも煽りにもならない。
人それぞれ幸せの価値観やものさしは違うものだけど、教育者として今から社会に出て行く若者にそんな気休めにもならない使い古された雛形セリフを伝えるべきなのか?
「おまえら今はそんなふざけてられるけど覚悟しろよ」の一言でも良い気がした今日この頃でした。

何を幸せと感じるか、何を人生の糧と取るかを見つけられるような社会人生活を送っていただきたいと思うと共に、僕自身も自らのものさしをしっかりと持てるような人生を歩みたいと思った。

卒業おめでとうございます。

バクマン7巻を読んで思った漫画家の笑いセオリーに対する違和感

twitterでもpodcastでも出来無そうなネタなので書きます。


僕の好きな漫画のひとつでもあるバクマン。
その最新刊7巻で、最高とシュージンがギャグかシリアスか編集と揉める下りがあるのですが、その中で編集のミウラさんに言われたと思われる、「笑いどころでは顔を崩せばok」という理論について違和感を感じました。
確かに様々な漫画で笑いどころには顔を崩すという手法が使われていますが、僕は前からこのやり方に疑問をもっていました。
そもそもギャグまんがですよ、という作品は既に始めから絵を崩して書いているorそういう絵しか書けません、ということだと思うので違和感はそれほど感じませんが、バクマン作画の小畑健さんの様に作画能力の非常に優れた方が描く作品で、一コマだけあからさまに崩した絵を見ると「さあ、どうぞ笑ってください」とか「ここ、笑うところですよ」と言わんばかりの押し付け感を感じてしまうのです。
さらに言えば、小畑健さんの描く崩した絵、というのがはっきり言ってしまえば気持ち悪い。いや、キモチ悪い。
人それぞれ好みがあるので、完全に個人的主観で書いていますので&悪気は一切ありませんので非常に狭い見識ではあるのですが。
僕の好みの崩し方はたとえば秋本治さんの「こち亀」で両津がはちゃめちゃやったときの傍にいる中川か部長の「...」という顔。
でも作品として万人に対して分かりやすくシーンを描くって観点で重要な手法だとは思いますけどね。
テレビなんかのバラエティで使われるSEと一緒ですね。
ツッコミを入れたときのバシッていう効果音やガヤの笑い声とかね。
そういうの無しで笑えるシーンや言葉ってすごいな、と逆に思うわけでした。


それはそうと、バクマンのリンクを探そうと思ってバクマンと検索かけたら偽パクマンというのが表示されました。
内容はよく分かりませんが、パクマン。としてバクマン風なパクリ同人漫画とかあったらおもしろそう。
ジャンプはじめ関係各位には嫌な話でしょうから、作ってはいけませんよ、とここでは書きますが。

新規バンド結成にあたりDr.Key.募集中!

キカクキカガク内での新規バンド結成にあたり、正式加入のDr.Key.募集しております。


加入条件は

・性別問わず
・年齢は21~28位
・活動場所は主に渋谷、週1ペースでスタジオに通える方
・ライブ経験者


公式サイトはこちら。

音源視聴はこちらからどうぞ。