No title

僕は考える。毎日、常に何か考えている。
ボーッとすることはあっても、その時も何か考えている。走っているときも。歌を歌ったり、バスケットでシュートを打つときの様な、瞬間的な動作をしているとき以外は考えている。
自分の生き様、未来の姿、社会の在り方、人間とは何か、今していることは、何の為の布石だ?地球の為に出来ること、こうしたら効率化されるのでは?こう生きたら、納得行くのではないか?人の為に奉仕出来ることとは?世の中で起きる全ての事象に疑問を持つ。不安を抱く。興味をそそられる。
周りの友人や家族を案じる。君は本当に幸せなのか?無理して合わせてるんじゃないか?そんなに急ぐことじゃないだろう?もっと自分を大切にして生きようよ。本当に大事なものが消えていくのに気が付かないのか?いや、そんな事は誰にでもあることだ。
でも、大多数が経験したことが正しいわけじゃない。多数派が世の中を動かしているのは事実だ。だからこそ、多数派に染まった意見をうのみにしていいってもんじゃない。大切なのは、君が後悔しないことと、幸せになることだけど。
僕は無力だ。自分の事で精一杯だ。いや、精一杯なんかじゃない。精一杯生きてなんかいない。だけど、何故だか精一杯生きられないんだ。
僕は完璧主義者だ。だけど完璧に生きてない。完璧なんてあり得ないのは知ってるけど、それにしたってもっと頑張れるはずだ。僕は家族すら助けてやれない。いつも誰かに支えてもらっている。だから、僕は考えている。いつも何かを。誰かを。僕自信を。ほんの少しでもアイデアとか、未来への希望とかを見い出せないと、折れてしまいそうだから。希望や夢や可能性は何もしなきゃ見い出せない。生きる糧、生きがいってのは、誰かが作った言葉だ。
言葉じゃない、自分自身で感じなきゃ。その為に考えたり、人と話したり、本を読んだり、ゲームしたり、歌ったり、絵を書いたり…人それぞれだけど、君の話なんだから、君が決めればいい。決めつければいい。それらは皆、慣習で動いてる。習性が付けば、きっと上手く行く。
『見る前に翔べ』誰の言葉だったか、素敵な言葉じゃないか。素敵な言葉は腐る程落ちてる。けど、素敵だから腐らず、人の心の中に浮き続ける。格言は人生を表していると思う。人の一生を背負う言葉だからこそ、感じるんだ。言葉も大切。感覚も大切。
いつか言語が必要なくなって、電波で会話するようになっても、格言は生き続けるだろう。AI搭載の多脚戦車が『アルジャーノンに花束を』を読むが如くw
それでは最後に、
『孤独に歩め。悪を成さず。求めるところは少なく。林の中の、象のように。』