オタク論・補足

 前回のオタク論は、内容的にラディカルでありながら、具体性がないので、
いろんな角度から反論があると思う。だから、それをまじえて、補足していきたい。
 そもそも、「オタクなんか誰もみねーよ」「過剰反応しすぎ」という疑問について。
感じ方は人それぞれだし、大勢の人がいるなかで、気にしないかもしれないが、
ヤクザあるいは、チンピラ、見るからに・・・な人が隣に座ったときのプレッシャーが尋常でない
のと同様に、オタクがすわったときになんともいえない感じになるはずである。
なぜか。自分の意識レベルでなく、直感あるいは本能レベルでその人を認識しているからである。
ここでの意識レベルとは、心理カウンセラーでないといじれない一番深いところにある意識でなく、
表面的なもの、たとえば、俺が今こうして、ない頭をフル回転させて、考えを言葉にする作業のような
、いわゆる心内語みたいなものである。表面的な意識でなく、本能レベルで認識することは、
プラスマイナスを瞬時に判断するので、複雑な表層意識が介在するすべはないはずである。
だから、気にしないようにしてるだけで、本能では認識しているのである。
 次に、「ディープなオタクがいるからこそ、ここまでオタク文化が発展してきたんだ」という疑問について。
確かに、ある意味で自分を捨ててまで熱心なオタクがいて、ワールドワイドにオタク文化が浸透していったのかもしれない。
それは否定できない。だが、逆に疑問に思うのだが、そこまでして得られるものってなんだろうか?と一歩戻ってみて
冷静に考えられなくはないだろうか。あるいは、文化発展に献身したという人は、果たしてその中にいたのか?という疑問もでてくる。
まず、前者について、熱中してみて結局手元に残ったのはなんだろうか、ということ。あるいは、職業はなんですか?と聞かれて、
オタクですと答えられるだけの根拠と自信があるのかということ。
後者について、あくまでもすごいのは対象であるアニメや漫画なのであって、製作者サイドのはずである。真に文化発展させたという
意味では、この製作者サイドのはず。俺の大学の教授の言葉じゃないが、わきまえろ、と言いたい !
 こういうわけで、もう一回結論に戻るが、オタクは空気を読むべきである。

浦島